呪術廻戦0、興行収入85億を超えたところで本気出してきました。特典第二弾が乙骨先輩の純愛ボードとのことで、乙骨を100億の男にするためには行くしかないとまたまたTOHOシネマズのIMAXで鑑賞。
小ネタや小説版、公式ファンブックなどの知識を揃えて、サントラとKing Gnuのシングル聞いて解像度を高めて行って参りました。
劇場版「呪術廻戦0」
4回目鑑賞
観れば観るほど味わいがある作品(漫画版も10回以上読んだ上で)、そこに美麗な映像と音楽が載って声優さんが命を吹き込んでいる、ほぼ台詞やプロットは原作のままで構図まで一緒の場面もあるので、原作を最大限リスペクトしているのを感じます。追加エピソードは既存のファンを喜ばせつつ、初見の方の邪魔にならない程度のバランスなのも好感。乙骨のモーニングルーティンからタイトルまでのオリジナルシーンもジブリとか新海誠っぽくて良かったです。
色々言われているエヴァはシリーズを通して観てないのでどれだけ似ているか分かりませんが、乙骨と里香ちゃんの関係性は十二国記の「魔性の子」をオマージュしてるのは分かりました。
が、十二国記はあくまでオマージュ止まりでちゃんと消化されて呪術廻戦0としての世界観に落とし込まれてます。呪術廻戦は陰陽師とか怪談とか仏教とか、日本的なものから着想を得てるので、コレじゃないみたいな舞台設定のズレがないのも良い気がします。
「純愛」の解釈について
ところで、映画のキャッチコピーとして”表面的”に語られる「純愛」には違和感しかないのですが、どうでしょう?思い出は終始乙骨目線なので、里香ちゃんとの思い出は美化されキラキラして画的にも美しいですが、作者の明かした裏設定を見ると、里香ちゃんは中々不穏な出自で、大人を手玉に取るような魔性感、それを乙骨本人には見せない計算高さもあって同性に嫌われるタイプ(多分作者の好みのタイプでもない)です。幼くして交通事故で亡くなったことと、乙骨の呪力で呪いと化してしまったことは可哀想ではありますが。ちょっと話がそれました。映画版は花澤香菜さんボイスもあってかなり可愛いですが、漫画版から入った自分は、(実は呪いをかけられていたという種明かしの後でも)里香ちゃんの性格はあまり好みではないという話です。
中学生ならまだしも、あの年頃の結婚の約束って、「愛」を語るには幼すぎてちょっと違和感ありました。寧ろ里香ちゃんが呪いと化した後の病んだ繋がりによる「執着」とか文字通り「呪い(縛り)」な気が。作者は敢えてあのシーンで「純愛だよ」と言わせて、乙骨の一見無害そうに見えて実は相当ヤバいやつ感を出す演出の一つとして表現したのだと思いました。前後の文脈からすると相当歪んだ台詞です。それが爽快でカタルシスを感じるんですけど、ただ表面的に「純愛」と捉えるのは、どうですかね。
生涯を里香ちゃんだけを想って生きるのが、「純愛」なのか、それではただのロリコンでは、、?ラストで里香ちゃんが無事成仏できたのを一区切りとして、主体的に自分の人生を歩んでいくのかなと思います。
乙骨は胸の大きな女性が好きな健全な男子で、誰かと繋がってないと生きていけないタイプ、今後は里香ちゃんとは別の愛する人ができる可能性もあるとのこと。作者コラムやちょっとした台詞は伏線となって後に壮大に、そしてやや斜め上に回収されるので楽しみにしてます。
終わりに
今回も面倒くさい長文になってしまいました。コミックの作者コラムや作風から作者の思考を辿って、あーでもないこうでもないと妄想するのは楽しいですね。エビデンスを拾い集めて作者の思考の延長上で飛躍しすぎずに妄想するのが好みです。